甚平ザメ Project
【飛行機を使わない、世界旅】
甚平ザメProjectとは?
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私、40代の甚平ザメが、
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飛行機を一切使わずに、
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「陸路」(徒歩、バス、鉄道、車、バイク)と
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「海路」(船)のみを使って、
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甚平ザメくんの甚平や作務衣を着用して、
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国境を中心に、地球上を、世界すべての国を旅する。
自分自身、これまでの人生に納得はしていない。
いつか死ぬ時に、やっておいてよかったと思える、
やりたいことすべてができなくても、
少なくとも、スタートしておいてよかった、
よい人生だったと思える、そう思いたい。
私と同じ、アラフォーや40代は、家族、仕事など、日々の生活に追われ、若い頃にやりたいと思っていたことをやり残してきた、忘れてしまった、忘れかけていた方々がいるのではないかと思う。
だけど、40代にも、やりたいことがある、
そして、そこに、20代や30代も合わさり、世代を超えて、
甚平ザメProjectの輪を広げていきます!
少しでもスキルがある方や、
これといったスキルが思いつかない方でもいい。
なんか面白いことをしたい同世代たちを結集してみたい。
- 中心メンバーとして、私と一緒に旅に行き、本当のリアルを伝える。発信する。
- 中心メンバーの中で、動画撮影(Vlog動画、VR動画、ドローン空撮など)をしたり、ライブ中継したり、旅のルートを検討する。
- 仕事や家庭などで、時々、時間が空いた時(例えば1週間とか)に、旅に同行してみる。
- 日本にいながら、動画配信や動画編集を行う。関わる。(いろいろな方のセンスの編集があってもいい)
- 世界各国で、自分の住む地域(都市や国など)の最新情報の提供役となったり、その地域をアピールする。
- 旅のルートをWebなどでほぼリアルタイムで公開するためのサイトを製作したり、アプリを製作する。
- それら、ルートサイト・アプリを運用する。旅のファンたちに共有する。
- 旅のいろいろな場所(僻地・国境など)からのライブ中継のサポート。
- 現地外国人や、日本にいる日本語を話せる外国人とともにライブにより、世界と日本との交流を深める。
- 外国人や大使館や小国との提携により、その国や都市などを、ライブを通して、お互いを知る機会を得る。
- YouTube動画配信やライブ中継などで、翻訳や通訳を担う。
- 旅に着用していく甚平や作務衣を製作したり、準備する。
- 甚平ザメくんブランドで甚平や作務衣を販売したり、グッズを製作して、販売していく。
- 甚平ザメProjectの実店舗や集まる場所としての「甚平ザメCafe」の開設や運営
- などなど・・・
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なぜ飛行機を使わないのか
私は、東南アジアを中心に、時々、旅をしていた。
お金がないから、例えば、日本からタイのバンコクまでは飛行機で行っても、
そこからは陸路で、周辺の国を回る。
だから飛行機を使わないことは、ある種当たり前なのだけど。
ただ、飛行機を使わないことの楽しさはある。
それは、現地の人との触れあい、人間味、においなど。
そして、点から点でなく、線となること。
飛行機を使うこと、ある都市の空港から目的地の都市の空港という
「点から点」となる。もちろん、その間には「空」があるけど。
でも、陸路で例えば、バスで移動したりすると、「点から点」の間にさらに点や線ができる。
時々、途中乗車する現地の方がいたり、行商や売り子がバスの外から
食べ物などを売り、バスの乗客が直接買ったり。
そうすると、食べ物を車内で食べるわけだから、食べ物の臭いが漂ってきたりもする。
また、日本のように宅配便のシステムが普及していないので、定期的に走るバスに荷物を載せることで、
都市から都市へ荷物を送る物流というのが当たり前だったりする。
そうした飛行機では味わえない人間味や、生活がそのまま見える。
旅人の多い都市や国だと、いろいろな国の人も乗っており、それぞれの臭いがする。
韓国人は、キムチ臭い人が多い、日本人は自分たちでは気付いていないが、しょうゆ臭いらしい。
長いと始発の都市から最終目的地まで24時間とかかかることもあり、途中に食堂があり、そこで食事をとったりする。
基本的には地元の人のみが使うので、純粋な現地料理が食べれたり、お手洗いは、ただ穴が空いているだけということもある。
そういう現地での人間模様や生活、ふれあいは飛行機では味わえない。
また、「臭い」や「匂い」は、現代の技術を持ってしても、音や映像では伝えられない。
新幹線でビューっと行くよりも、ローカル電車でのんびり楽しむことに似ている。
どんなに時代が進むもうとも、陸を行く、海を行く、それは変わらないと思うし、
どんなにメディアやインターネットが進んでいても、そこに行かないと分からないことはある。
そういうことを感じたい。
Subテーマ:甚平と国境
なぜ、甚平や作務衣を着て行くのか?
以前仕事をしていた時の上司に「自分は世界中を回りたいんだ」と話したことがある。
「だったら、日本人と分かりやすいように、甚平を着て行けよ!」と言われたことがきっかけである。
その後、世界には寒い地域もあるし、基本的に夏物の甚平だけでは厳しいので、甚平か作務衣ということになった。
作務衣には、冬物のコートのようなものもあり、内側をうまくやれば、極寒でもどうにかなる気がする。
その頃は、まだ、白いメガネもかけていなかったし、「甚平ザメ」という名前も生まれていなかった。
なぜ、国境なのか?
これは本当に、感覚的に「国境っていいなあ」という思いから。
国境の川で飲んだ、ハイネケンは格別でした。
日本は島国であることから、陸路の国境というものが存在しない。
国境となる川にかかる橋を渡る、たった一本の線をまたぐ、ただそれだけで、
国が変わってしまう。それだけで、貧富の差があったりして、貧しさが大きく変わることもある。
右側通行から左側通行になったり、時差が変わったり。
もちろん人も変わるので、文化も変わる。
時には、三国国境という、3つの国が一点で交差する国境もあり、そういうのは、ワクワクする。
楽しくするアイデア
- 甚平ザメくんの刺繍などを施した甚平または作務衣を着用し、履き物は、雪駄などを着る。
- YouTubeでVlogを発信する。
- 毎日、いろいろな場所(例えば国境)からYouTube Liveを配信し、時には現地の日本人や日本語を話せる外国人(現地の方)を交え、視聴者との一緒に楽しめるようにする。
- Google EarthなどのWebやアプリで旅路・ルートをほぼリアルタイムで公開し、旅を一緒に楽しめるようにする。
- VR (Virtual Reality)により私のたどった旅をいつでも体験できる。障害者、高齢者など旅に行きたくても行けない方々の代理体験、疑似体験を担う。
- 海外に行ったことがない若者と少し一緒に旅をしてみる。
(学校・若者支援団体などとの協力) - 甚平と国境をコラボしたフォトブックを製作する。
- 各国の言語に翻訳し、全世界に情報を発信する。
- できるだけメディアにとらわれない「リアル」を大切にする。
- 自動翻訳機の実証実験を請け負う。
甚平ザメProjectが10年後、20年後に目指すイメージ
私は、10代や20代などの若者に、外国体験をする機会を提供したい。
日本は、いろいろ言われるけど、周りに餓死する人は滅多に見かけないし、
少なくとも、それなりに暮らしていける。
でも、生き方が多様化する中で取り残されたりとか、上手に生きれない方もいる。
正直、自分もそっち側の人間なのだけど。
そういう方々に私が提供できることは、外国体験をさせてあげること。
世界は広いし、地球儀を回せば、たくさんの国や都市がある。
違う文化や違う臭い、違う人々、違う生き方、それを、学校や若者支援団体などと
連携してやってみたい。
興味はあるけど海外を怖いと考えることもあるかも。
だからこそ、できるだけ費用をかけずに、その体験をし、それが人生の幸せへのきっかけになればいいと思う。
そういう気持ちで、社会貢献ができたらと思っている。
さらに、外国人と日本人とのつながりも進めたい。
特に、日本となじみの少ない、アフリカや中米をはじめとする小国など。
国境などやあらゆる場所で、YouTobeLiveなどにより、交流を深める。
日本語の分かる外国人との共演や大使館と連携し、Projectのビジョンである、
「日本人と世界とのリアルな距離を縮め、地球に平和をもたらしたい」
を進めていきたい。
甚平ザメとは?
- 神奈川県横須賀市出身
- 現在、神奈川県厚木市在住
- 白いメガネがトレードマーク
- ビールとスコッチウィスキーが好き
- 時々、美術館に行く
甚平ザメProjectのビジョン
甚平ザメProjectと、
海外を旅することに対する思い
前史
私は、高校時代から、高校を卒業してしばらくは、
高校の先輩が立ち上げた小劇団に入り、
芝居をやっていた。
地元、神奈川県は横浜や、東京は下北沢や高円寺にて、
小さな劇場を借り、
劇団の代表が脚本を書き、公演を打っていた。
その後、だんだんとみんな年齢が上がり、気がつけば、
「次の公演をいつやるか?」
という話が出ないまま、劇団は自然と幕を下ろした。
社長との出会い、そして、海外への強い思い(ターニングポイント)
そして私は、両親のすすめもあり、
2年間、コンピューターの専門学校に通った。
1年目の終わり頃から、就職活動をしていた。
その就職活動の中で、この旅に続く、
大きな人生のターニングポイントがあった。
それから1年後に入社することになる会社の
会社説明会での、創業者でもある社長のお話。
社長とその会社は、
まだ、インターネットが世の中に普及する前の1990年代、
NECとともに、世界中の国々に海外向け電話交換機と
電話ネットワークを作っていってた。
「まさに世界中の電話のない国・都市に、
電話ネットワークを立ち上げ、
電話を普及する仕事」
私は、その社長の世界中の
ほぼすべての国を回り、
仕事をしていた話を聞き、
海外に対する思いが強く刻まれ、
影響を受け、
「海外に行きたい」、
「いろんなところに行きたい」と
考えるようになった。
そして、私は、就職活動において、
この会社以外は一切応募せず、この会社に入ることだけを目指し、
結果、入社することになった。私は本当にうれしかった。
しかし、海外に行くチャンスがなく
しかし、私が入社した2003年頃は、
インターネットが普及しはじめ、
それまで強かったNTTが
規制をゆるめはじめ、私の入社した会社でも、
国内での仕事が9割以上を占めるよりになり、
私の求めていた海外に行く仕事がほぼなくなった。
それでも私の海外に対する情熱は変わらず、
3年でその会社を退職した。
その後の20代、30代の人生は
その後は、自分で航空券を申込み、
電話でホテルを予約し、
たった一人で、初めての海外としてタイに行った。
タイにおいて、就職活動をして、
数社の面接を受けたが、うまくいかず。
その後の私の人生は、日本で仕事をしながら、
海外での仕事を探し見つけては、海外の仕事をして、
また、日本で仕事をして、その間にプライベートでも
海外に行っていた。
20代の頃は、先のことはあまり考えていなかったが、
30代になったころ、ずっと世界中を旅して回りたいと
強く思うようになり、とにかくお金を貯めようとしたが、
日々生きることに必死だった。
そんな中でも、私は
「全世界、全ての国へ行きたい」
とは、
いつどこでも、
いろんな人に話していた。
40代になったが、海外への情熱は消えない。
いまは少し、お金を貯められるように
なってきた。
そして、私は、40代となった。
最初に海外への情熱を持ってから、
気がつけば20年。
でも、私の中で、世界を旅したい、
知らない場所へ行きたい、
地球上すべてをこの目で
見たいという思いは変わらない。
むしろ、だんだんと少しづつ、
歳ととも体力の衰えも
感じつつある中で、どうにかして
やりたいことをやっておきたい
という思いは、強くなる一方。
旅の計画(案)
旅のルート案(作成中)【どうしてもいけないルートもあって、難しい】
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日本からバルト三国
日本(鳥取県境港市)→ 韓国(東海港)→
ロシア(ウズベキスタン→ウスリークス)
中国(ハルビン経由)→中ロ国境→ロシア(モスクワ経由)
→エストニア→ラトビア→リトアニア→東ヨーロッパ -
東ヨーロッパからアフリカ大陸
東ヨーロッパ→トルコ(イスタンブール)→中近東→
エジプト→アフリカ大陸→モロッコ→スペイン→西ヨーロッパ -
西ヨーロッパから北欧
スペイン→フランス→イギリス(イングランド→ウェールズ)
→アイルランド→イギリス(北アイルランド→スコットランド)
→ベルギー→北欧(フィンランド→スウェーデン→ノルウェー)
→デンマーク - 北欧から北米
デンマーク→アイスランド→デンマーク領グリーンランド
→北米(カナダ)
※アイスランドから北米に渡るルートは、見つけることが困難な可能性アリ -
アメリカ大陸(北米・中米・南米)→ロシア
カナダ→アメリカ→中米→南米東側→アルゼンチン
→チリ→南米西側→中米→北米→アメリカ(アラスカ)
→ロシア※アラスカ州からロシアへ渡るルートは、見つけられない可能性アリ -
ロシアから(日本)から東アジアから東南アジアから南半球
ロシア→日本(北海道→大阪)→中国(上海)
→台湾→中国(北京→大連)→北朝鮮→中国横断
→インド→ネパール→東南アジア→マレーシア
→シンガポール→インドネシア→ブルネイ・ダルサラーム
→パプア・ニューギニア→オーストラリア
→ニュージーランド→ミクロネシア・ポリネシア系小国
→日本? - 番外編
南極大陸、北極圏
ルール
- 全ての行程を陸路または海路で移動する。
- 飛行機は一切使わない。日本出発の際も航路(国際フェリー)で行く。
- 現地の文化、法律に触れない限り、キャラ「甚平ザメくん」の甚平や作務衣、雪駄、和風の履物を着用して、旅をする。
- 1つの国家につき、原則、首都を含む2都市以上(2都市もない小国を除く)を巡る。
- できる限り多くの国境を巡り、写真や映像に収める。
または、大陸・エリアごとに分けて旅をすること可能性アリ